ISIS支配に抗う女性
第1章 イスラム国が性奴隷制度を復活
イスラム国は現在のイラク周辺を実行支配している。場所は古代都市バビロンがあった場所とちょうど重なる。バビロンといばバベルの塔や空中庭園、「マリッジ・マーケット」で有名だ。かつて、アーリア人など若い白人女性も売り買いされる世界最大のマーケットが実在した。その美しい謎めいた都市は、今は伝説となって伝えらるが、ここに同じ性奴隷市場が3000年の時を超えて突如出現することなった。
イスラム国の蛮行は世界の主要メディアで報じられているが、女性への蛮行はさらにエスカレートするばかりだ。最初は身代金目的の誘拐だったが、攻撃し支配した民族の若い女性、子供に値札をつけて国際マーケットに出品するようになった。
これがその映像である。
Syrian city of Raqqa
イスラム国の武装勢力は、占領地を拡大するたびにその地区の民族のなかで、若い処女奴隷を見つけだし、バビロンの性奴隷市場へ送りだす。
まず、はじめにおんなたちをあつめ、裸の写真と、評価表をつくるための処女テストを行う。つまり、車をオークションに出品するように、書類を揃え、シリアの首都ラッカで送り込む。
そのまえに、彼女たちのほとんどは、兵士たちの性奴隷として、数週間は足止めされる。
古代バビロニアに実在した、花嫁市場より、もっとダイレクトなマーケット名が付けられいる。'きれいな処女市場' 。
これは、国連のConflict Zainab Bangura(ザイナブ・バングーラ)特別代表が声だかに発表した内容の抜粋にすぎない。日本のメディアはスルーだ。
奴隷マーケットには、ヤズィード民族(Yazidi)のほかに、多くの無力な少数民族が捕らえられており、この奴隷は、売却されると奴隷の身分のまま、逃げ出さない限り奴隷で生涯を終えることになる。
幸運にも警察に逃げ込むことに成功した女性は涙をにじませながら語った。
「ダマスカスのホテルで踊っていました。もちろん、お金はもらえません。来る日も来る日も踊って、お客をとることを強要されました」。政府高官はこの事実をつかんでおり、花嫁市場のルートは海外のバイヤーも参加しており、タイのバンコク、それにフィリピンへと延びている。
非常に貧しい国からダマスカスへ売られたのではなく、同じように貧しい国へ性奴隷として売られるのだ。ここに恐ろしい性奴隷の国際マーケットルートの存在が序々にあきらかになってきた。
商品の内容により、高く売れる女性は、経済が安定したヨーロッパへ、そして、商品価値が低いとみなされた人々は、まとめて、レッドライトディストリクトへと売られて行く。
2014年6月からイラクの広範囲の領土を掌握しているイスラム国は、隣国シリアとの国境をまたぐ地域でのカリフ制国家の樹立を宣言し、両国で残虐行為を繰り返している。
国際人権保護団体NGOアムネスティによると、イスラム国によってイラク北部のヤジディー教徒やその他の少数民族が標的にされた結果、民族浄化や一般市民の殺害、奴隷化が行われた。
アムネスティの危機対応上級アドバイザー、ドナテラ・ロベラ(Donatella Rovera)氏は声明で、「性奴隷として捕えられている人の多くは子どもで、14~15歳か、さらに若い少女たちだ」と語っている。
アムネスティは、被害者の一人であるジランさん(19)の事例を挙げている。兄弟によると、ジランさんは性的暴行を加えられることを恐れて自殺したという。
ジランさんと共に拘束された後に脱出したある少女も、これを裏付ける証言をしている。「ある日、私たちはダンスの衣装のような服を与えられ、入浴してからそれを着るように言われた。ジランは浴室で自殺した」「彼女は両手首を切り、首をつった。彼女はとても美しかった。男に連れていかれることがわかっていたから、自ら命を絶ったんだと思う」。
別の元人質の女性、ワファさん(27)はアムネスティに対し、強制的な結婚から逃れるために姉妹と共に自殺を図ったが、止められたと語っている。「私たちは、お互いの首の周りにスカーフを巻き付け、思い切り強く引っ張った。私は気を失った」。
アムネスティはまた、家族と共に拉致され、自分の倍の年齢の男から性的暴行を受けたランダさん(16)の話。
「彼らが私や家族にしたことは、本当に痛ましいものだった」と語っている。
人権保護団体、本人たちの話を総合すると、ストーリーはこんな展開になる。
大きなホールに着くと、1000人ほどの女性が監禁されていた。2週間で与えられた食事は、1日に水とパン切れ2つ。
戦闘員が女性の顔写真を撮り、奴隷売買の下準備を行っている。
結婚を強いる数人の男が現れる。受け入れないと殺すと告げられ、アムシャさんは故郷に近いモスルに住む中年男性との結婚を受け入れた。それはイスラム教に改宗することでもあったが、子どものために生きのびることを選んだ。生き延びた彼女の話からその実態が明らかになったのだ。
男性の家に連れて行かれ、妻としての生活を強いられた。家には男性の仲間とみられる戦闘員らが監視していた。2週間たったある夜、彼らが寝ているのを確認したアムシャさんは幼い子どもを抱え、勝手口から外に出た。暗い夜道を4時間ほどさまよった。
そして、
明け方、通りでひとりの男性と目があった。捕まることを覚悟しながら男性に近づき、自分がヤズディ教徒でIS戦闘員のもとから逃げてきたことを告げた。
8月、イラク北部のシンジャル一帯を制圧したイスラム国戦闘員は、逃げることができず降伏したヤジディ教徒住民の一部を処刑。そして、イスラム教への改宗を迫った。女性たちは少女を含めて集団でバスに乗せられ、連行されていった。拉致された人数は1000人を超えた。総数は恐らく3000人に達する。
バスを用意していたのは、初めから誘拐、人身売買による軍勢力維持の資金源を確保するためだった。
あるグループは、学校校舎などの施設に詰め込まれ、戦闘員に、性行為や強制結婚を強いられた。さらに別の地域の戦闘員やイスラム国協力者のあいだで奴隷として売買された。
イスラム国は、町や村を攻略した当日、複数のバスを手配して数百人単位でシリアやイラクに分散して移送し、既婚・未婚を選別して収容している。